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  • 執筆者の写真笠原メイ

【僕とセックスとピストル】

中学、高校時代にパンクロックを聞かなかったら、僕はとっくの昔に自殺を選んだだろう。

パンクには多くのバンドが存在するが、 その中でも一番強く影響を受けた、 「Sex Pistols」について書きたいと思う。

セックスピストルズは、 1970年代後半にロンドンで流行した、 パンク・ムーブメントを象徴する伝説のバンドだ。 発端はロンドンのキングスロードという町で、 『Sex』という奇抜なスタイルの、 服屋を経営していたマルコムという男が、 (デザイナーのヴィヴィアンウエストウッドが共同経営者) 店に出入りしていた不良に楽器を持たせて、 「セックスピストルズ」を結成させた。

当時のバンド・シーンはハードロックと プログレッシブ・ロックが二大主流で、 言わば超絶技巧のギターテクニックの世界、 芸術性=ロックのような時代だった。 その真逆を突きパンクは暴力的かつ原始的に、 シンプルなパワーコードで演奏した。 ダウンピッキングをバキバキに鳴らした。

ハードロックのバンドマン達は揃って、 髪を肩まで伸ばしていたが、パンクス達は、 それに反抗して、髪を短くして逆立てた。 ピストルズの歌詞は、王室や、政府や、大手企業を、中傷するという実にアブナイ内容だったが、 マネージャーのマルコムの思惑も上手く運び。 TVで放送禁止用語を連発する等の、過激行為や、斬新なファッションが若者を魅了した。 技術はなかったが、説得力と存在感があった。

1977年10月「勝手にしやがれ!!」という、アルバムを一枚だけ発売する、 その後デビューから1年で解散した。 メンバーが右翼に襲われたり、保守派の力で、 ライブをキャンセルさせられる事件が続き、 ラスト・ライブでボーカルのジョニーロットンは客席に向かってこう吐き捨てた。 「アハハ、騙された気分はどうだい?」 去り際に「ロックは死んだ」

そのLive音源は15歳の僕の脳天に、 突き刺さった革命、センセーショナルだった。 そして僕は17歳でバンドを始めた、 その話はまた別の機会に。

ちなみにピストルズはめちゃくちゃな事ばかりの、ヤク中の集まり、頭の悪いチンピラ、アナーキスト。狂暴な連中みたいなイメージを抱く人もいると思うが、 メンバー全員で集まるときは、 いつも政治の話ばかりしていたらしい。 そしてなんとバンドの演奏練習は、 毎日きっちり6時間もやっていた。 そうゆう真面目な部分もあったみたいだ。

セックスピストルズの顔とも言える、 ベーシストの「シドヴィシャス」には 「ナンシー」という悪魔的な恋人がいた。 シドはナンシーにハード・ドラッグを教わり、 いつも二人は仲良くベッドで。 ラリりながらインタビューを受けていた。 (何故かナンシーは上半身が裸だった) ベーシストなのにベースが弾けず、 ステージでナイフで自分の胸を切り裂いたり、 4本ある弦の内、3本を切って演奏したり うるさい客の頭をベースで殴り飛ばすなど。 無茶苦茶をやっていた訳なんだけど。

ある朝、ニューヨークのチェルシーホテルにて シドはシャワールームで、 ナンシーの死体を発見してしまう、 当然、シドがナンシーを殺害した事件だと、 警察も野次馬も彼を疑った。 しかし指紋や、確かな証拠は出てこず シドは薬で飛んでて記憶がなかった、という。 マネージャーのマルコムは一切動かず、 結局、ローリングストーンズのミックジャガーがシドに救いの手(弁護士を手配して費用を立て替えた)を出して保釈になった。 だから、真相は未だ闇の中なんだけど。

僕が中学時代ショックを受けたのは、 ナンシーが死んだあと、シドは 悲しみに暮れて何もできなかったと思ったのに、 ちゃっかり新しい恋人を作っていたことだ。 少女漫画のような甘ったるい憧れを、 恋に抱いていた15歳の僕は、 「愛ってそんなものなんだ」って残念に感じた。 でも今考えると、殺人の容疑をかけられて、 辛かったり、寂しかったんだろうね。 そして21歳の若さでヘロインのODで死んだ。 スキャンダラスな恋ということで、 シド&ナンシーの物語は映画化もしたが。 僕はリアルなナンシーの死体写真を 見た事があるので、それで、十分だと思ってる。 死後、シドの革ジャンのポケットから、 遺書らしき紙が見つかった。


**『俺達は死の取り決めがあったから、一緒に死ぬ約束をしてたんだ。 こっちも約束を守らなきゃいけない。 今からいけば、まだ彼女に追いつけるかも知れない。 お願いだ。死んだらあいつの隣に埋めてくれ。 レザー・ジャケットとレザー・ジーンズとバイク・ブーツを死装束にして、さいなら。』 ** ここから先、横道に反れてしまうが。 自分の話をちょっと書いて終わろうと思う。

ナンシーがシドにプレゼントしたと言われている、「R」という刻印がされている南京錠に 鎖を通した(通称シドチェーン)を、 16歳の誕生日に、幼馴染のY美から貰った。 僕は鏡の前で首にぶらさげてみた。

が、しかし。。。。

ニキビ面に、しまむらの服というスタイルには、死ぬほどシドチェーンが似合ってなかった。その事実に高校生ながら気づき、とても恥ずかしく、そして心が傷ついた。 田舎町の高校生にシドチェーンは一番ダサいアイテムだと断言できるだろう。 学習机の一番下の引き出しに それをしまって、いつの間にか無くした。 せめてY美の前で一回くらい身に着けて、 歩いたりするべきだったと思うけど。 どうみても僕はシドヴィシャスじゃないし、 シドの要素はほぼゼロの、ダサい自分だった。

ピストルズを聴いても今では興奮はしない、 若い頃にたくさん聞きすぎたのだろう。 懐かしさや、感傷や、刹那的な気持ちになる。 シドや、ジャニスや、ジミヘンや、カートコバーンや、若くして死んだロッカーは伝説として語り継がれるけど、やはり人間は死に方よりも、生き様なんだなって事を、彼らの死から僕は学んだ。 そーゆーことだ。生きていこう。

笠原メイ(2019.12.6)

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